秋色に染まる蛇ケ谷公園

6 11月

 小学校のとき新入生の歓迎遠足で蛇ケ谷公園を訪れた記憶がある。当時は、こんなに広く無かったと思う、今ではクラスの記念写真を撮った場所も判らない。○○年も昔のことだから!確か記念碑の前だったような・・・? 親元離れ学生生活を経て社会人となり、仕事を覚え生きる術を身に付けようともがきながら生きてきた。価値観の違う他者ともうまく接し、自分の主張を通し、テリトリーの拡張に躍起になっているうちに40代、50代となる。振り返れば空回りも多かったナ!大人になるにつれ育ててもらった郷土を忘れ興味関心は外に向かう。護られ慈しんで貰った郷土のあたたかさ、親のありがたさも忘れかける、自分独りでで大きくなったと錯覚し傲慢な心も芽生えてくる・・・この傲慢な心が人間を愚かにする、人生を狂わせるのである。人は多少の社会的地位、名声、財を得、偉くなったように錯覚し他より優れた者に思えてくる。そして他を見下すのである。どのように勉強が出来、学校一番の優等生で名門の最高学府を出ても自分の目の前の一人を大事に出来ないものは4流、5流、否最下流の人間である。この傲慢さが親の恩、先輩の恩、師の恩そして社会の恩を忘れさせる。忘恩は人の道を逸脱し周囲に迷惑をかけながら生きていく。これではあまりにも悲しい。傲慢を打ち砕くのは謙虚な心である。時として戦中、戦後の貧しい時代で最少の学校教育しか受けていない御高齢の方々の振る舞いにはっと!驚かされることが有る。何と美しい人間の姿よ!・・・ と。人は心ひとつで美しくもあり醜くもなる。崇高な人生であり、哀れな生き方ともなる。未来に向かってキラキラ輝く眼をもつ青年よ!少年・少女よ!玉名っ子よ!害毒に染まらず真実なるものを見据えたくましく生きような!                        今、○○年振りに公園を訪れ小学校の時以来、我に返った様な気がする。成人してからは公園内のトイレを使わせてもらったことはあるが、こんなにもゆっくり時間をかけ歩いたのは本当に久しぶりである。自分が住まわせてもらっている土地に、こんなにも自然溢れる素晴らしい公園が有ったんだ!!と今さらながら嬉しくなる。公園から遊歩道を登っていけば、いたる所に樹齢○○年と思える高木がそびえる、私が小学校の時は幼木だったのかもしれない。本当に○○年ぶりに同級生と出会った感じがする。ア! これは当時仲良しのD君、S君、H君・・・などと「かくれんぼ」して遊んだ時の木かもしれない?

「イヤ!久しぶりだな~」  ほら今!確かに、高木の声を背中で聞いた! ・・・・・・・。

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